大判例

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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)4315号 判決

原告

手塚源太郎

被告

学校法人慈恵大学

右代表者理事

名取禮二

右訴訟代理人

高橋明雄

片山和英

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一診療契約に至る経緯

1  請求の原因一1の事実のうち、原告が日比谷整形外科医院医師により陰茎に充填物を注入する方法で陰茎長大化形成術を受けたこと、同2の事実のうち、原告が昭和四一年一〇月一二日、慈恵大学病院に赴き診察を受けたことは当事者間に争いがない。

2  しかして、右の事実に〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

原告は、昭和四〇年一一月から同四一年一月までに三回にわたり日比谷整形外科医院において同医院医師により陰茎に充填物を注入する方法で陰茎長大化形成術を受けたところ、充填物が陰茎の内部に片寄つて滞留するなどして、陰茎が変形して醜状を呈するに至つた。そこで、原告は、昭和四一年一〇月一二日慈恵大学病院に赴き、同病院の増田富士男医師らの診察を受け陰茎の形成(再手術)を希望して創をなるべく小さくして注入した物質を全部取り出して元に戻したいという意向を述べた。これに対し、同医師らは診察の上、同月一八日、入院して手術する必要があると説明したが、原告は手術を受けることの決心がつかないまま、同病院へは行かなかつた。

二診療契約

1  請求の原因二1の事実のうち、原告が昭和四二年八月四日、慈恵大学病院に赴いたこと、原、被告間に充填物除去手術を行う旨の準委任契約が締結されたことは当事者間に争いがない。

2  前記事実に〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告は、昭和四二年八月四日、慈恵大学病院へ赴き、再び初診として三木誠医師の診察を受け、以前に日比谷整形外科医院で手術を受けた陰茎の腫脹が著しいので、陰茎の形成術をして腫大した陰茎を治してほしい旨を述べ、なお、陰茎は勃起せず性交不能であること、疼痛や排尿時痛みはないことなどを説明した。これに対し、三木誠医師の診察所見では、亀頭部、陰茎部、陰嚢部全体が極めて大きく腫大し、陰茎を横にすると大腿外側に亀頭がとび出すほどであり、腫大した部分の皮膚は一部血管が怒張して光沢を帯び、皮下に板状硬結を触れるという状態であり、そのほか、陰嚢内にも異物が入り、全体に腫大しており、両側睾丸の間には小豆大からくるみ大の硬結が多数一塊となつて触れるという状態であつた(なお、特に圧痛はなかつた。)。また、原告の陰茎を勃起していない状態で測定すると、根部周16.0センチメートル、最太部周20.0センチメートル、次いで太い部分周16.0センチメートル、亀頭部周14.0センチメートル、恥骨下縁から陰茎先端までの長さ20.0センチメートルであつた(なお、日本人男性の平均では、勃起していない状態で、陰茎の長さは8.5ないし8.7センチメートル、周囲は7.7センチメートルくらいである。)。そこで、同医師は、陰茎、陰嚢内の異物をそのまま放置すると、重力に従つて異物が組織のやわらかい方へ落ちて行き滞留・集積し、その部分の皮膚が血液の循環障害を起こし壊死する可能性もあると判断し、原告に対し、右の所見・判断を説明し、手術により陰茎・陰嚢内の異物を取り除く方が良い旨を話すと、原告はこれを承諾して右手術を受ける旨を表明した。なお、その際、同医師は原告に対し、陰茎から異物を剔出するときの一般的な術式として環状切開と縦切開の二方法があることを説明したが、原告の場合にどのような方法をとるかについては、同医師は手術を担当しない外来診察の係であり、当該手術を直接に担当する医師が判断すべき事柄であるので、説明しなかつた。

以上の事実が認められ〈る〉。

三本件手術

1  請求の原因三1の事実のうち、原告が昭和四二年八月一一日慈恵大学病院に入院し、同月一六日充填物除去手術を受けたこと、三木信男、佐藤勝、入倉英雄の各医師が右手術に関与したこと、右手術において陰茎背面部の皮膚縦切開及び陰嚢部の切開が行われたこと、術後に瘢痕が残つたことは当事者間に争いがない。

2  右の事実に〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

原告は、昭和四二年八月一一日、慈恵大学病院に入院し、手術前の一般的な検査や診断を受けた後、同月一六日、三木信男医師の執刀、佐藤勝医師(主治医)の介助、入倉英雄医師の外まわり(立会人。血圧、呼吸その他麻酔上の管理を行う。)で充填物の除去手術を受けたが、三木誠医師は右手術に関与しなかつた。執刀に当つた三木信男医師は、原告の陰茎には既に他医により環状切開が行われており、その部分が癒着していたことや、充填物の量が大量であることから、環状切開は困難であり、また、陰茎に異物を注入して長大化形成術を行う場合は通常背面部から注入されていることから、陰茎背面部を縦切開することにして充填物の剔出に当つた。充填物は器質化(組織の中に混ざり合つた状態にあること)したものと、ゼリー状(混ざり合つていない状態)のものとが混在しており、触診して硬結のある部分は陰茎腹面部も含め可及的に除去したが、未だ集積していない充填物の除去は困難であり(これらは時間の経過により集積するのを待つて再手術するしかない。)、また、腹面部冠条溝の硬結は以前に剔出手術を受けた部分のため癒着が強く、その部分からの剔出は困難であつた。次いで陰嚢からの剔出を行つた。除去した充填物は、陰茎部から一一一グラム、陰嚢部から一〇九グラムであり、異常に多かつた。最後に切開部を通常の方法で縫合し、手術を終了した。原告は手術の後も入院を続け、ガーゼ交換や化膿防止のための抗生物質の投与などを受けた。この間、陰茎部の創は次第にきれいになつたが、陰嚢部には血腫ができて分泌物が出たりし、創は一部壊死状態となり、創が開いて回復が遅れていた(もつとも、このようなことは術後しばしばあり、治療を継続すれば治癒するものである。)。同年九月二日に至り、原告は退院を希望したため、主治医の佐藤医師はまだ無理だとは思つたが、引き続き外来で治療を受けるように指示して退院させることにし、原告は同月三日退院した。その後創は快復したが、縫合部に瘢痕が残つた。

四被告の責任

判旨右一ないし三の事実に基づき、被告の責任について判断する。

まず、原告は、原、被告間に成立した契約内容は、陰茎の体部と亀頭部との境を環状に切開し、皮膚を根部にひきあげながら陰茎内の充填物を完全に除去し、その外観を復元する手術を行う旨のものであつたと主張するが、それを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、右契約は、原告の陰茎・陰嚢を切開して、充填された異物を可及的に除去し、陰茎の形状をできるだけ正常に近くするという内容のものであつたことは、右二に認定したところから明らかである。しかも、〈証拠〉によれば、右手術の時点で、原告の陰茎に充填された異物を完全に除去することは技術上到底不可能であつたこと、右手術には陰茎の外観を復元するという目的もあつたが、むしろ、充填物を放置することによつて将来陰茎・陰嚢に皮膚の壊死が生じることを防止するという目的が重要であつて、そのためには充填物の除去に最も適した方法が採られるべきであつたことが認められる。そして、三木信男医師らが、前記認定の具体的事情に応じて陰茎背面部縦切開及び陰嚢切開の手術方法を相当と判断し、これにより手術を行つたことは、右手術の目的に副つた合理的なものと認められるから、同医師らが本件契約に反する手術を行つたという原告の主張は、その前提を欠き失当である。

本件のような場合には、個々具体的な手術の方法について逐一患者の承諾を得ていなくとも、術式の選択、治療の方法は、医師である術者の高度な専門的判断に委ねられており、包括的な診療契約の内容になつているものというべきである。

更に、原告は、慈恵大学病院の医師らが充填物を醜く取り出した上、切開部を醜く縫合した結果、原告の陰茎・陰嚢は術前よりもはなはだしく醜く変形し、また、縫合部位が瘢痕となつて残つたので、全体として術前よりも一層の醜状を呈するに至つたと主張する。しかし右三に認定したとおり、充填物を完全に取り出すことは到底不可能であつて、三木信男医師らは可及的に充填物を取り出したもので、その手術方法に過失があつたものとは認められないし、切開部の縫合についても何ら過失は認められない。なお、手術後の原告の陰茎・陰嚢が完全には復元せず、また、縫合部位に瘢痕が残つたとの点についても、それらは手術の結果としてやむを得ないものであつて、時日の経過により自然に消失又は、回復するものである上、原告の日常生活に特段の支障等を与えているものとは認められない。もつとも、〈証拠〉によると、原告は、その後昭和四四年四月一二日、再度慈恵大学病院へ赴き、三木誠医師の診察を受け、前回異物(オルガノーゲン)剔出後の陰茎の変形が強いので、形成手術を受けたい旨訴えたこと、しかし診察の結果、原告は現在性交も可能であり、排尿状態もよいというので、同医師は、瘢痕部を取り除いても再び同様になる可能性があるので、積極的に手術をするべきでない、陰茎の機能が十分であるので形を余り気にしない方がよい旨説明したこと、そして念のため海綿体造影写真の撮影をしたところ、異常がなかつたこと、その後原告が診察治療の目的で来院したことはなかつたことが認められる。

したがつて、被告に債務不履行による責任があるとは認められない。〈以下、省略〉

(土田勇 池田克俊 西尾進)

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